Sunday, September 26

とてもとても若すぎた時、
かっこいいものは今と違っていました。
それは、女性としての魅力も、
人としての良さも同じ。
あまりよく分かっていなかった。
それでもそれなりに定義はあったので、
自分を少しでも良く見せようとしたり、
時には嘘もついた。
行く先々の良しとするものを把握したつもりになっては、カメレオンの様になった。
それが、大人になって大切なものができて見ると、親も人になり、先生も、店員さんも
どこかの偉いひとも人になる。
年齢や性別、性格、価値観や環境が違っていたとしても、ひとということに変わりはないと気づいた時、なんだかほとんどのことを分かったようになる。
ひとは、ひとに優しくされるとうれしいものだし、褒められると気持ちは上がる。
大切なひとが笑顔なら気持ちがいいし
お金はあった方がいい、おいしいものを食べたいし、自分の好みの生活や格好をしていたい。
わからない世界がたくさんあったように思っていたけれど、
そのひとらしくあることが重要で、
思いやる気持ちがあればいい
今、すごくこわいと感じるのは、
分からないということ。
ひととして、ひとの気持ちが分からないこと。
同じひととして、うれしいものがうれしくなければ、
悲しいものが悲しくなければ、そこには何があるんだろう?

Sunday, September 19

Ma ville natale*

わたしの故郷はロマンチックのたくさん詰まった街、函館です。

その尊さはわたしの中でどんどん膨らんでいき、
そこで過ごした景色を思うと胸がきゅっとするのです。


とくに信仰している宗教などはないけれど、
祈る姿を美しいと思ったり、マリア像やロザリオなどがだいすきです。


初めてこころが惹かれたのもシスターでした。
何をするのかもよく知らずに、子供ながらにとても憧れていました。

美しい教会は私にとても影響を与えてくれたと思います。

ケーキ屋さんでもおよめさんでもなく、シスター。
母が覚えているかはわからないけれど、そんな事で心配したりもしたのかな。



そして、素敵な坂もたくさんありました。

石畳の上を歩くと、不思議と何かをぼーっと思い、
そのうちに坂が終わっていることも多かったです。



"和洋折衷町家"という呼び名を最近知ったのだけど、
街を飾る風情のある建築物たちも、お気に入りのひとつです。


春夏秋冬それぞれにこっくり染まる、赤レンガもすき。


公会堂や、旧イギリス領事館も
写生会で出掛けたり、通学路や遊び場の中にあるひとつでした。

思い出の場所です。


そして、"宝石箱をひっくり返した様な夜景"
というフレーズがとてもお気に入りの
函館の夜景。

特別に、ゆらゆらきらきらと光る日は
そのフレーズそのものです。


うっとりしあわせな気持ちにさせてくれたり、
時には切なくなることもありました。


世界の色んな美しい街に憧れてきたけれど、
この街には私の好きなものが詰まっています。

この先どこに行っても、この街に戻って来たいです。


私は、時間がゆったり流れる海のあるこの街がすき。



そして、母の住むあったかい家がすき。




Friday, September 17

『Les Bijoutiers du clair de lune』








—警察に追われる者を、かつて"月夜の宝石"と呼んだ。



なんて、純粋無垢な、
可愛らしくて、いじらしくて、楽しくて、悲しい
儚い映画。

ベベはいつも、映画の中、こわい程真っすぐ。
誰にも咎められない。

強くて弱くて、あまりに美しいひと。



Tuesday, September 14

Ma chose importante♡

6年前にもらった、ティファニーのアップルペンダント
それから、小ぶりのお花とラインストーンのついたリング。
こんなセットは後にも先にもこれくらい。
でもまだ19歳だった私には、正直気分も付け心地もしっくりきていなかった。
それからちょくちょく出しては仕舞ったけれど、それは変わらなかった。
あれから6年経って、
何だかあのりんごとお花が恋しくなったのと、そして
今なら身につけられる様な気がして、ひっぱり出した。
華奢なのに子供っぽくなるのが気になっていたのに、
そんなのはどこかへ消えてしまってた。
本当にお気に入りのものに変わった。
6年かけて、わたしはやっとそれに見合う女性になれたのかな。
磨いても簡単には取れない錆は付いたままだけれど、
とってもうれしい。

Sunday, September 12

祇園囃子

"Gion accompagnement musical"

Saturday, September 11

La première fois

きょうは初めて一人、
映画館で映画を観ました。
上映される3番の部屋に入ると、なんとなく一番端の壁側の席を探していました。
何ともなく、目当ての席へ向かい
まだ真っ黒のスクリーンを見るとふいに、
少し前の夏のことを思い出しました。
それは、
初めて一人で飛行機に乗った時のことです。
長いお別れでも何でもないのに、私は
私をそこまで送ってくれたひとの去ってゆく姿がとても切なくて、
急に一人だと思ったのでした。
一人ということに不安を感じて感情が揺らぐにはとても恥ずかしい年齢だし、
私はたまらずぎりぎりまで
トイレへ駆け込んだままでした。
気持ちを落ち着けた後、搭乗口へ向かったけれど、扉を開けて一歩進む度、整えた気持ちもすぐに乱れ、とても恥ずかしかったのを覚えています。
わたしを見て、何かあったのだろうという表情の人や、どうしたのと心配してくれる人もいました。でも、一番おどろいていたのは私です。
まさかこんな気持ちになるなんて。
私は、それから空の上でも泣き続けて、到着するほんの少し前あたりでやっと眠りました。
実家を離れてから数年、目紛しく色んな思いが交差したけれど、どんな時もわたしはその人の側で、一人でなかったことを思い知らされました。
それは、初めて家族の元を離れ、慣れない土地で一人布団に入った夜よりも切ない気持ちでした。
その人の隣でかわいくないことやむずかしいことが何度も起きた自分のこころにとても悔しくなったのです。
強情でむずかしい私。でも、ひとりじゃ何もできなかったこと、そんなことを思い出しました。
今は、一人新しいことをしてもそれほど何も変わらず、感情が揺らいでは、こうして言葉を綴ることも少なくなって、
ほんの少ししか経っていないのに、私はあの頃欲しかった冷静さを少しだけ手に入れて、淡々としてきた気がします。
あの気持ちでさえ忘れてゆくのかもしれないと思うと、怖くなりました。
不安の気持ちや自分自身の違和感にも慣れてしまって、平気になってゆくのはとても怖いことです。
自分のことや大切にし続けてきたものに鈍感になって、ゆるゆるになってしまわない様に、
忘れかけていた景色や、言葉、思い出、記憶をたどったら宝箱の整理をして、
見つめ直そうと思ったのでした。